始めること、走ること、やめること。
走ることをやめないこと。
TAKUYA∞(UVERworld) “走るひと”の姿Vol.1 - スポーツナビDo
走ることの意味を考えている。
健康のため、いいタイムを出すため、人よりも速く走るため、運動ができる人であるため。
パッと考えるだけでもいくつも出てくるのだが、自分が走ることを求める意味はなんだろうか。いや、今必要としているのはなぜたろうか。
今の僕に必要なのは、何かに熱中をすること。一日でもこれをしないと、落ち着かない。そんなことが心の支えになるということを、直感的に知ってる。
公文、サッカー、勉強、マラソン。
様々なことに熱中をしてきたけれど、どれも熱中をしていると、我を全て忘れて没頭する時があり、それはもう幸せな瞬間であったことを思い出す。
今、運動をすることで、稼ぎにもなるはずはない。職に繋がるはずもない。ましてや怪我のリスクや苦しさばかりが付いて回る。
しかし、僕が今走ることを求めるのは、やめたくないからだ。始めてもすぐにやめてしまう。僕の生活にはやめることが付きまとっている。
サッカー部をやめた、あの日から、か?
あの時のせいにするのは簡単なことだ。
「あの日から負けが、悔しくなくなった。」
そんな姿で大人になっていきたくはない。
でも確かに、あの時の後から、僕はやめることを前よりも簡単に選ぶようになった。
今、そのことを認めたのなら、ここで変わっていけるかどうかだろう。
負けたままでいるのは、簡単だ。
勝つための努力は必要がないのだから。
やめることは、簡単だ。
続けていくための努力は必要がないのだから。
だけど、負けたままで、やめたままで生きていくことは、ちっとも幸せでない。
自分が幸せになるには、誇りを持つこと。人と比べて優っている、劣っているではなく、自らが決めたことを始め、続けること。
それが僕が走ることを、再び始めた理由だ。
雨でも走るし、風邪をひいていても走る。
自分で選択したことを、始め、続けること。
そしてその先で、たどり着く自分を知りたい。