ぼちぼちと旅をしようか

旅の始まりはきっと近くにあってだな

そこはもう、過去の僕が生きる場所じゃない。

 多くの考えが一日を過ごす間に巡っていく。まず朝起きた時に感じる、倦怠感。少しだるめな朝がここんとこ続いている。夜の暑苦しさが眠りの質を妨げているのかな、と思って冷房をきちんとかけてみたけれど、どうも違うらしいようだ。

 目を覚ました後、なんとか起き上がってゆっくりと体を伸ばす。ストレッチをしてみる。そうしていくうちに、硬くなった練り消しがゆっくりとまたその柔らかさも取り戻す様に、少しずつ、体と心が柔軟さを取り戻していく。ふっと、自分の頭が疲れているという妄想に疲れていたのか、と思う。

 毎日を過ごしていると、過去の自分とのつながりを、大きく意識してしまうのだ。昨日までの自分はこうだったから、と「自分の毎日はこんな感じだ」と心身の深いところで、意識的になる前に、思い込んでいることがある。人と話すことは疲れる。集中力が続かない。新しいことを始める勇気がない。いろんな、自分を有刺鉄線の内側に閉じ込める言葉や思い込みを、自分自身に囲いつけて、動けなくしてしまっていることに気づく。

 

「がんばりなさい!
 続けることが大事
 弱音は禁物。
 感情が身を滅ぼすことを忘れないで!」

 『四つの小さなパン切れ』マグダ・オランデール=ラフォン(訳:高橋啓

 

 人類の恥ずべき記憶、アウシュビッツの中で死に最も近かった人々の中に、こうして心を保っていた人がいた。強大な有刺鉄線の中で、他者に、その気まぐれに命を支配されていた人が、心を保つために、抱きしめていた?自分にはその苦しみは計り知れようもない。

 それでも彼女がつむぐ言葉は、大きな支配の暗闇から、日々に時々差し込む優しさ、憐れみという光を、感じ、生き延びた、その光を語る。その苦しみを乗り越えた彼女が今語る言葉の端々には、穏やかな空気が満ちている。そんな彼女たちの苦しみを、そして光を、僕はどう見るのだろう。ああ、どんなに僕は、不幸論者としての人生を送っていたことか。

 

 僕は、誰にも縛られていないのに、いつのまにか大きな有刺鉄線で、僕自身を囲って閉じ込めた。その柵を作ったのは、過去の僕を、不満の眼差しで振り返る僕自身だ。

 新しい一日は始まってる。そこはもう、過去の僕が生きる場所じゃない、今の僕が生きる、その瞬間が僕らにはつながっていく。そうして繋いでいくことでしか、僕は生きられないのなら、先のひとつひとつの瞬間を繋ぐことに、一生懸命になればいいんじゃない。

 今日をどんなふうに過ごそうと、新しい日はすぐそこにあってだな。